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あれから50年、私を励ましてくれたひとこと




 先日、高校時代の同級生のT氏から電話があり、来年の3月で、私どもが高校卒業して50年となるので学年全体の同窓会を開きたい、そしてその折、記念誌を出したいので私にも当時の思い出や近況を書いてほしいと依頼されました。「半記憶喪失症」になっている私は、「チコちゃんに叱られる」ことになりましょうが、50年前ボーと過ごした高校3年間のことはほとんど思い出せません。これからかすかな記憶の糸を手繰り寄せるのは大変ですのでその後のことを書くことにしました。
 私は父もそうであったように、学業を終えてから当地で僧侶と教員の2足のワラジをはいてきました。その日々は忘れ得ない方々との出会に満ちています。そのうちの一つを紹介します。

 25年ほど前、勤務校の人権学習のフィールドワークでお世話になっていた本宮町在住のK氏がお亡くなりになり、その翌年、奥様からの願いで私が一周忌法要をお勤めすることになりました。その日、本宮K家には氏ゆかりの方々が数多くお参りされ、にぎやかな法要となりましたが、そこにNさんという可愛いい小学生がいました。
 法要の後、お斉を頂いているとき、彼女が私にこう話しかけてきました。

Nさん 「お坊さん、ほかに何か仕事してるん?」
私   「高校の理科の先生をしているよ。主に生物を教えているよ」
Nさん 「ちょうどいいなあ」
私   「どこがちょうどいいのかな」
Nさん 「お坊さんはいのちをタテにみてゆくのでしょう。生物の先生はいのちをヨコにみてゆくのでしょう。それがいっしょにできるんだからちょうどいいと思ったの」

 たしかその時、Nさんは4年生、とても利発な女の子でした。その日の私の役目はお坊さん、阿弥陀様のお徳を讃え、K氏ともまた会える「倶会一処」の世界が誓われていることをお話したところでした。Nさんはそれをいのちのタテのつながりと受け取ってくださったようです。
 生物学はもちろん40億年のタテのいのちのつながりを解明する遺伝学や発生学も重要ですが、生態学の手法で、地球上に現存する数多のいのちのヨコのつながりを究明することも大切なテーマです。Nさんはそこに注目してくれていたのです。

 真宗教団連合は本年4月に 「私たちは、いのちあるすべての存在が互いに響き合う世界、誰一人取り残されることなく、共に生きることのできる世界を目指して取り組んでまいります」という結成50周年共同宣言を発表しました。
 そこにはいのちのヨコのつながりが強調されます。

 生物学と仏教、根はつながっています。
 Nさんの指摘によって、この2足のワラジをはいて歩く値打ちに目をさまさせてもらいました。この先、もう長くは歩けないでしょうが、このワラジを大切にしてゆきたいと思っています。




           南無阿弥陀仏  南無阿弥陀仏




御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)


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