御坊組 寺院紹介 vol.12


安養寺


 日高地方における浄土真宗は、室町時代の初期(一三〇〇年代)に伝わり、その後本願寺第八世蓮如上人(一四一五〜一四九九)の時代である文明年間に一大発展をとげたといわれる。

 当時は足利将軍継承問題に端を発した、応仁の乱(一四六七〜一四七七)より天下の守護、大名を二分しての戦乱中、天下は麻の如く乱れ、穢土をきらい、浄土を願う末法思想の台頭していた時代背景の中で、一般庶民のなかに他力信心のお念仏が潮の如く浸透していったことはうなずけるわけである。

 安養寺は大永三年(一五二三年)室町末期、つまり戦国時代に開いた寺であり、開基は道西法師であって、当時は日高郡下の零細農民の心の拠りどころとして、時の権力に対するささやかな抵抗の本拠地としたものであった。

 現存する過去帳を見ると、湯川村財部に寺院を建立、その門徒は湯川村財部、西小松原、東財部、富安、藤田村吉田、野口村下野口、島村、薗、稲原村切山、切目村上道、内原村高家、萩原、志賀村谷口の計十三ケ村にまたがっていたことが記されている。

 明治以降、薗、切目、志賀、富安にそれぞれ一宇を建立、分離したが、現在も門徒は十ケ村に分布している。

 現住職は第十八世で、昭和六十一年に継承し現在に至っている。

 現在の龍鶴山安養寺は平成二十二年の大改築により建造された伽藍で、約五百坪の敷地内に静かなたたずまいを見せ、門信徒の心の寄りどころとして、又求道の道場として、心の灯をもやし続けている。


住職  佐々木俊紀    





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