御坊組 寺院紹介 vol.16


圓満寺

 在昔、北塩屋峯ノ山の嶺上に大行寺という真言宗の一宇の梵刹があり岡本左近之進が寺主となり地区の菩提所となっていました。 左近之進は建久九年に後鳥羽上皇が熊野参詣の折、日高川が洪水のため、危急に瀕したところをお救いし上皇から嘉賞を賜った人物と伝えられています。 その時、上皇から拝領した「五本骨扇」は正徳年間に流失したものの岡本家の家紋として今も使用されています。

 その後、寺伝によれば文明年間に本願寺第八世蓮如上人が紀州へ下向された際、左近之進の末裔左近が上人の法話に感得し帰依したと記されています。 この時、左近は宗派をそれまでの真言宗から浄士真宗に改め「教意」 という法名とご親筆の名号を賜りました。それ以後、岡本家を道場として弘願他力の大道を弘通することになりました。

 江戸時代に藩に提出した史料では圓満寺の開基を文明七年としています。 永正四年、時の住職正岸が二間四方の小庵を創建、絵像本尊を奉安、実如上人染筆の六字の名号を賜っています。 寛文元年、正春の代になって現在地に移転、仮堂を構え本願寺の允可を得て阿弥陀如来立像(良如宗主免判)を奉安、圓満寺の寺号を賜りました。
天和元年、祐春の代に茅葺四間四方の道場を建立し喚鐘を設置しました。

 なお、当岡本家は年来、北塩屋地区漁民の福利増進をはかるため、漁網、漁具の製法に新機軸を考案し漁獲量の増加に貢献しました。 爾来、当寺と地区漁民との相互関係は真俗両面にわたり日を遂うて緊密の度が加わっていきました。





 宝暦七年、梅春の代に六間四方の本堂を再興し、祖師聖人の真影、聖徳太子、七高僧の画像を奉安、続いて鐘楼を建立し梵鐘を設置しました。 文政十一年、榮春の代には庫裡を再建し今日に至っていますが、積年の風雨等の損傷激しく、平成十五年に本堂、山門、鐘楼、土塀の修復工事を門信徒をはじめ関係各位の多大なるご尽力、ご協力のお陰をもちまして完成させて頂きました。

 お寺は念仏の道場です。念仏は「あなたを決して見捨てない・あなたの悲しみは私の悲しみです」と常に寄り添っていてくださる阿弥陀さまの呼び声です。
この温かい御心を共有していく核となる場が本堂です。いつでも訪ねたいと思って頂ける「開かれたお寺」を目指して日々、精進して参りたいと思っています。
    

圓満寺住職  岡本眞雅紀    





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