御坊組 寺院紹介 vol.8


天性寺


 南誓山 天性寺は、薗浦紀小竹に小庵を営んで道場としたのが当寺の創立と伝えられています。
 以後現在地に移転しますが、紀小竹にあった期間が長いことから昔は「紀小竹のお寺」と呼ばれていたとの事です。
 文明5年(1473)開基第1世住職、釈貞阿(俗名 津本藤左衛門)と伝えられています。天性寺の寺号公称は、宝永7年(1710)2月に許可を受けたと郡誌に記されていますが、延宝6年(1678)の日高鑑には「真宗天性寺」と記されていることから延宝以前に天性寺の寺号があったと考えられます。
 残念ながら宝暦4年(1754)の大洪水で古い記録を失い、又明治22年(1889)の大洪水にて過去帳をも流出したとの事で古いことは定かではありません。

 次に前住職(第12世) 津本 宗禎が先哲から聞いた天性寺の歴史を紹介いたします。
 この紀州路には浄土真宗興正寺派が多く、日高郡内の浄土真宗の寺院の多くが興正寺派に属していたようです。当寺も明治時代に興正寺派から本願寺派に転派しました。
 当寺の御絵伝は今も興正寺派の御絵伝を掛けさせていただいています。
 第11世住職 津本鉄城は明治42年3月に日高郡湯川村大字財部 好浄寺より入寺致しました。
 住職年数50有余年 布教伝道に勤しんでその間の苦労恩徳は誠に有難く、現在の庫裏は昭和6年、本堂は昭和9年にご門徒の皆様の有難い浄財をいただいて立派な本堂が建てられました。

 昭和33年3月には好浄寺が天性寺と合併しご門徒30戸数が暖かく天性寺のご門徒として迎えられたとの事です。
 好浄寺については、宝永2年(1705)第1世住職 俗名 辻村 興秀が開基とされその後享保2年(1802)に湯川氏を名のり第11世住職 釈智城まで継職されました。

 最後に 令和元年11月から始まりました天性寺本堂の修復事業は、おかげさまを持ちまして無事に完了し立派な御堂となりました。
 これひとえに仏祖のご宏恩そして門信徒の皆々様の多大なるご支援を賜りましたおかげでございます。

     

 この度の記念事業として二河白道図を本堂外陣に掲げました。軸装を額装に表具しなおしました。
 ご縁がございました是非御覧ください。



住職 津本 芳生    





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