「東井義雄記念館」を訪ねて

■40年ぶりの天橋立
私は学校に勤務していたころ休暇中よく「青春18キップ」で近畿や北陸へのJR鈍行日帰り旅を楽しんでいました。ここ退職して2年、年齢のせいか旅程をたてるのも面倒になってすっかり出無精になっております。
先日、思い立って、丹後・但馬方面へ1泊2日のドライブ旅行をしてきました。1日目は天橋立から丹後半島一周、2日目は城崎、出石を巡る旅です。天橋立は40年前、学生時代に一度行ったことがありました。その時は傘松側の股覗きの展望台しか無かったように記憶していますが、今は、文殊側にもリフトで容易に登れる立派な展望施設(天橋立ビューランド)が造られ、大きな龍(橋立を龍に見立てる)が頭をこちらにして海を渡ってくるような、躍動感あふれる「飛龍観」の眺めを楽しませてもらいました。
砂嘴の松林はそのままです。40年前と同様、レンタサイクルを借りて緑陰の中を走りましたが、片道3.6kmの砂道は今の私にはまことにしんどい。傘松の展望台に登った(といってもリフトですが)後、復路は自転車は乗り捨て、モーターボートで戻ってきました。年齢と肥満のせいでしょうか。
日本経済が高度成長のまっただ中にあった40年前の天橋立は、工場排水や家庭排水の影響か内海側の海水が非常に汚く、これじゃ白砂青松の名所とは言えないな、という印象を持ちましたが、今は水質がすっかり改善され見違えるようになっていました。

■伊根の舟屋
丹後半島の伊根の舟屋は時々テレビドラマや映画でみる光景ですが、本当に船を家の中まで引きっ込んいるのですね。その軒数の多さにも驚きました。
ここまで海に接近したら台風や高波は大丈夫かな、津波が襲ったらどうなるのかなと、今、予想される南海トラフ地震に伴う大津波の備えに翻弄されている私どもにとりましたら、この風景は何とも奇異に思えました。


■「日本のペスタロッチ」東井義雄
2日目は、城崎、出石と但馬観光の定番を巡ったのですが、是非とも訪れたかったのは豊岡市但東町の「東井義雄記念館」です。東井義雄師は「日本のペスタロッチ」と讃えられる昭和における教育界の至宝であり、お念仏のこころを全国に弘めて下さった尊い宗教者です。
東井先生については、お説教でいろいろな御講師から慈愛あふれる先生のお人柄や温かい詩についてのお話を聞かせて頂いてきましたし、何冊かの著書も読ませて頂いたことがありました。また「いのちの教育・お念仏のこころ」と題するビデオを御門徒のみなさんと見たこともあります。先生がお亡くなりなって22年がたちますが、先生の詩を織り込んだ「お念仏のこころをはぐくむ ほのぼのカレンダー」が毎年作製されています。
旧但東町は先生の往生3年後の1994年、出身地に近い但東町出合にある役場(現在は豊岡市但東総合支所)の隣接地に先生の功績を讃える記念館を建設しました。
以前からその存在は知っていたのですが、但東町は兵庫県北、山間の地でJRの駅からも遠く紀州からは少し訪ねにくところです。今回の旅でようやく念願が果たせることになりました。出石からの帰路、国道426号線を福知山インターを目指して走る途中、大きな案内板を見つけ閉館間際でしたが記念館に入ることができました。
記念館は町の図書館とつながった施設で、図書館入り口から入館しました。あまり大きくはありませんが、東井先生の著書や論文、その直筆原稿や蔵書、遺品、胸像、表彰状や年譜等がいくつかのコーナーに整理されて展示されています。「いのちの教育」と言われた先生の教育実践が詳しく紹介され、拝観者が学び易く工夫されています。先生の子どもたちへの温かい思いがあふれ、お念仏のこころが薫る色紙や手紙類も数多く展示されています。限られた時間でしたが、多くの困難、課題に誠実に取り組まれた先生の人柄がよく伝わってきました。
館内中央の机上に東井浴子さん(東井先生の御長男故義臣氏の奥様・現東光寺坊守)のインタビュー記事が掲載された月刊誌「致知」(2007年6月号)がありました。家庭における東井先生のお姿がよくわかるもので大変興味深く読ませていただきました。この件については後日機会があればご紹介します。

■東井先生の御自坊東光寺にて
閉館時間がせまり、30分程で辞さなければならなく残念でしたが、記念館で東井先生の御自坊東光寺さんへの案内地図を頂き、車で10分足らずのところにある佐々木という集落を訪ねました。東光寺さんは車道に近い高台にありました。大きくはありませんが、鐘楼も備えた立派なお寺です。境内からは田植えの終わった水田とわずかな民家が見渡せます。東井先生のある著書に門徒数は9軒との記述があったことを記憶しています。但東は過疎が進行しているのでしょう。この日も、お寺のすぐお隣にある茅葺きの民家が住む方がおられなくなったのか、朽ち果てようとしている様子に心が痛みました。
記念館で頂いた「会報 白もくれん No33」に館を訪れた伊丹市の山本誠さんのお便りが紹介されていました。その中に「・・・記念館の存在は、教育の波にもまれる教室で舵を取る教師たちの灯台のような存在です。・・・多くの人に利用されることを願ってやみません。・・・」とありました。教師をしていた私も自省をこめて、氏の思いに同感するものです。あわただしい2日間のドライブで少々疲れましたが、旅程の中でこの記念館訪問が最も強く印象に残りました。
最後に東井先生の詩を一編紹介します。2011年春に曲がつきCDとして発売され、今、全国で大きな感動をよんでいる東井先生の詩です。「仏説阿弥陀経」の「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」に示される仏さまのお心に通じます。


どの子も子どもは星

みんなそれぞれがそれぞれの光をいただいて
まばたきしている
ぼくの光を見てくださいとまばたきしている
わたしの光も見てくださいとまばたきしている
光を見てやろう
まばたきに 応えてやろう
光を見てもらえないと子どもの星は光を消す
まばたきをやめる
まばたきをやめてしまおうとしはじめている星はないか
光を消してしまおうとしている星はないか
光を見てやろう
まばたきに応えてやろう
そして
やんちゃ者からはやんちゃ者の光
おとなしい子からはおとなしい子の光
気のはやい子からは気のはやい子の光
ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光
男の子からは男の子の光
女の子からは女の子の光
天いっぱいに
子どもの星を
かがやかせよう
御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)


▲ページトップに戻る