「生々世々の初事」

 新年明けましておめでとうございます。

 組の実践運動の柱として開設した御坊組のホームページが誕生して半年が過ぎました。担当の方が時々に更新して、新鮮さを保って下さっています。どれだけの方々が訪れてくれているのかわかりませんが、教区の組長会などで、「いつも見ていますよ。組内各寺の催しがわかっていいですね。」と何度か声をかけられました。
 ホームの「今月のお話」やこの「雑色雑光」のコーナーは毎月必ず新しくなっています。「雑色雑光」は当初、組長のつぶやきみたいなものでしたが、11月、12月と組仏婦会長、門徒推進員が寄稿して下さいました。これからも僧侶、門徒にかかわらず様々な立場の方々の交流の場として開いてゆきたいと思います。
 どうか、またこの一年、組ホームページとのおつきあいよろしくお願いいたします。


■石見の妙好人善太郎
 大晦日は1年365日を引きずりますが、開けての正月元旦は身の回りに起こることがすべて「初事」のように感じます。
 もう13、4年前にもなりますか、記憶も撮った写真も多くは失ってしまいましたが、島根県浜田市・江津市に妙好人善太郎さんの事績を訪ねたことがありました。昨今のお説教では妙好人のお話はあまり聞かせていただけませんが、鳥取青谷の源左さん、島根温泉津の才市さん、出羽の磯七さん、そして有福の善太郎さんと時代は若干異なりますが、山陰路からは多くの妙好人が出ています。
 善太郎さんは、天明2年(1782)10月、現在の島根県浜田市下有福町に生まれました。
 天明6年(1786)、5歳で母キヨと死別したことから、若い頃は暗くすさんだ「毛虫の悪太郎」の日々を送りました。トヨと結婚しましたが、サト(2歳)、ルイ(2歳)、ノブ(3歳)、そめ(3歳)という4人の愛娘を11年の間に次々と失うという深い悲しみに出会いました。以来、「よくよく重ねて重ねてご開山のご意見にとりつめてお聞かせに遇うて」ついに、念仏の法にめぐりあうことができ、その大きな感動と喜びが生涯を支えることとなりました。

■「この善太郎」
 私が訪ねたのは、浜田市下有福にある善太郎翁ゆかりの光現寺さんとその周辺です。善太郎さんはは後半生、独特な字を連ねて筆まめに書きました。暖かい体温と土のぬくもりを感じさせる筆跡が数多く残されています。この文字は「善太郎文字」と呼ばれますがそれによって連ねられた文からは法悦があふれています。現在そのいくつかがお手次ぎ寺の江津市浄光寺さんと翁が日参されたという光現寺さんに保管・展示されています。残念ながら、当時の私は善太郎さんの信仰の深みを理解できていなく、その場ではほとんど読み解くことが出来ませんでした。

 善太郎さんは、写真にもありますようにほとんどの手記に、「この善太郎」という言葉が顔を出しています。これは悲しみ、喜び、苦しみ、一切のものから逃避せずと受けとめて、かみしめかみしめご法義をよろこんだ翁の名告りです。
 これについて光現寺の住職菅和順師は、「この」という二字(「このこの」と重なっているものもあります)には、宗教的実存の比類のない確かさと重さがある。「聖人のつねのおおせには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなり」(歎異抄後序)という深い実存的自覚が結晶している。(光現寺さんで頂いたパンフより)と語っておられます。
 阿弥陀さまのお救いの目当てがこの私であったことの喜びが溢れています。善太郎さんの「つねのおおせ」になっていた「この善太郎(がために)」の一句こそ、善太郎さんその人の一生の姿勢と精神を端的に言い表しているいのちの言葉であるといえます。

【写真の手記】
 おがんで たすけてもらうじゃない
 おがまれてくださる にょらい
 さまに たすけられてまいるこ
 と こちらからおもうて たすけてもら
 うじゃない むこうからおもわれ
 て おもいとられること この善太郎


■善太郎さんの手記の一つを紹介します。

この善太郎は
お慈悲のかたまりの善知識さまのご意見、遇うてみれば
この善太郎は
落ちる落ちんのゆう間はないげに候う
この善太郎は
このなりゆきが地獄の道中、きのうも地獄の道中
きょうも地獄の道中、今宵も地獄の道中
この善太郎は
このなりゆきが、落ちるばかりのこの善太郎なれども
お慈悲の善知識さまのご意見を、耳に聞いてみれば
この善太郎は
生々世々の初事に、どがあもせずにこうしておいて
この善太郎は
阿弥陀如来の清浄真実のおまことひとつの
なむあみだぶつさまのおいわれさまで、引き受けて
助けてやろうのご意見とは
この善太郎は
やれうれしや、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ
この念仏は、この善太郎のいのちあらんかぎり
ごご恩報尽とこころうべきものなり


■善太郎の「初事」
そして、手記によく見られるもう一つの大事な言葉が「生々世々の初事」です。善太郎さんは毎日の当たり前のことにも「生々世々の初事」と受け取り、「初事」「はつごと」と一息一息に、「うれしうてならぬ」「尊うてならぬ」と悦びを表現しています。
善太郎さんの「生々世々の初事」に気づかせていただきました。お正月だけでなく、毎日毎日が、いや毎刻毎刻一刹那がみな「初事」と頂かれました。 今日この日、この時間に代わりはありません。良きも悪しきも私が出合うたご縁、たった一度のご縁でみな「初事」でありましょう。

 善太郎さんは74歳の11月に長い手記を書きつづり、その最後を「金剛の信心ばかりにてながく生死をへだてける、この善太郎」と結びました。年が明けて安政3年(1856)2月8日、75歳、「有福の念仏ガニ」の生涯を静かに終えました。古い「善太郎」に死んで、新しい「この善太郎」(法名釋栄安)に生まれ変わり、「このこの善太郎」に生き尽くした一生でした。
 善太郎さんは間違いのない他力信心を頂き、その喜びを周囲によく語って下さった方でもありました。今、翁を偲ぶよすがとして、浄光寺や光現寺で翁の日常生活用品や手紙や手記の他、お墓や銅像、顕彰碑や木像にもお参りすることができます。

■「念仏申さるべし」
 蓮如上人は年始に訪れた勧修寺村の道徳に「道徳いくつになるぞ、念仏申さるべし」と諭されたと伝えられます。2014年、6月には本願寺の御門主のお代替わりが行われる節目の年です。念仏相続うるわしく、「この私」こそが本願のお目当てであったことを喜び、あらゆるものを「初事」といただく勿体ない日々を重ねてゆきたいものです。
 本年もどうか御坊組を温かくお支えいただきますようよろしくお願いいたします。
                                             南無阿弥陀仏


(追記)
 光現寺の近く、有福温泉で善太郎さんのよく知られたエピソード「草餅説法」に因む草餅「善太郎餅」が販売されています。その和菓子店の名は「善太郎餅本店」、草餅の箱の包み紙は「善太郎文字」の手記を印刷したものです。10個入り800円とちょっと高めですがとても美味しいですよ。私は何度か宅配もしてもらいました。


2014年1月1日

御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)


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