(過去の「雑色雑光」はこちらからどうぞ)

伝道掲示板のこと


■掲示板の思い出
   「オッサン、ワシら古い人間は、インターネットら知らん、御坊組のホームページを開けてくれ、と言われてもパソコンもスマホも持ってないんや、寺からの連絡は、何か紙に書いたものにしてもらわんと困るで。」
 「○○寺の掲示板にはいつもエエ事書いたらなあ、ドキッとさせられるでえ。ウチの寺にもあんなん作らんかい」
 そのような声に押されて今年2月、山の上の小寺、三宝寺にも伝道掲示板が出来ました。ある御門徒さんから進納された「永代経」を使わせていただきました。アルミ製ですが、ソリのついた屋根もあって中々立派なものです。
 私が「掲示板」を最も真剣に見つめたのはいつか。それは間違いなく、45年ほど前の大学生の頃、朝、登校して真っ先にむかうのは教務係掲示板の前、何を見るのか・・・そう、「休講のお知らせ」です。先生方の出張や病休で、講義がお休みに、勉強嫌いな学生にとってこんな嬉しいことはなかった。休講は休講、学生の「儲け」。しかし、今はこうはゆかない。現に私が2年前から非常勤講師として週2コマだけ「生物」の授業をさせていただいている和高専では、授業1単位は年間30時間確保が必須、当方の都合で休講することがあったら年度内に日を設定して必ず補講せねばならない。和高専では「休講」のお知らせは玄関ホールのモニター画面に代替日がセットされた「授業日変更」として出るだけ。それを見つめる学生の顔には何の喜びもありません。時代も変わりました。

■本山「如月忌」にお参り
 さて寺の掲示板に何を書くか。「伝道」と名がつくので、行事日程のポスターだけを張るというわけにはゆきません。私のアタマからは「寸鉄人を刺す」ような名言が出てくるはずもなく、釈尊や宗祖のお言葉をそのままお借りしても、読んでくださる方の心に正しく届くかどうか。碩学の著書から「尊い言葉」を抜き出しても私の領解がそこまで及んでいないことは明白で、地に着いたものにはならないでしょう。妙好人の言葉は深い信心の発露ですが、その死生観や現世を超越した信仰をそのまま現代人が受け入れるのは難しい。
 いろいろ悩んでいても日々は経ち、掲示板が1月末には完成し、2月1日から掲示スタートとなりました。さて、何をと考えてたとき、2月は九條武子さんを偲ぶ「如月忌」があると思い立ち、前進座からいただいていたいた「如月の華」大阪公演の大きなポスターを利用し、武子さんの歌「おおいなる/ものの力に/ひかれゆく/わがあしあとの/おぼつかなしや」の句を掲げさせていただいた。その効果とは言えませんが、2月7日の本山「如月忌」に三宝寺婦人会から6人もお参り下さった。
 ポスターをお借りした都合上、前進座公演にもゆかねばと、2月24日には坊守と大阪国立文楽劇場まで「如月の華」の鑑賞に出かけました。すばらしい舞台に大感激、今村文美さんの熱演で生身の武子さんにお会いしたような気持ちになりました。

■京都・仏光寺 半世紀経て注目
 さて、3月からの掲示板はどうしようと思っていた矢先、毎日新聞2月15日号26面(社会)に「京都・仏光寺 半世紀経て注目」と題する記事をみつけました。(翌日のMBSテレビの夕方の番組VOICEでも紹介)
 『ひと月待てた/手紙の返事/メールになって/一週間/LINE(ライン)になって/一時間?/待てなくなってる/せわしないね』
 真宗仏光寺派の本山・仏光寺(京都市下京区)門前の掲示板に掲げられている「今月の標語」が、ネットのツイッター上で取り上げられ、話題になっている。冒頭の昨年9月の標語が「真理をついた名言」と注目され、2万回以上、拡散した。思いがけない反響の大きさに、宗派側も「今後も良いものを」と気を引き締めている。これだ!伝道標語はこれしかない!と感じました。その記事の中には過去の標語がいくつも紹介されています。どれも阿弥陀さまのお心がよく伝わってきます。
 「ありのままの/姿見せるのよ」/と言うけれど/見られちゃ困る/私のすがた/それでもあるまま/見ていてくださる/阿弥陀(あみだ)さま(今年1月)
 知って/やる罪/重い罪/知らずに/やる罪/深い罪/いずれの罪も/縁次第(今年2月)
 有り難いことに仏光寺本山のホームページは過去の標語が閲覧できるようになっています。先日、京都に遊んだおり、仏光寺に立ち寄ってきました。ありました!境内地を囲う土塀のうち南側高辻通りに面した所に漆黒の大黒板があり、そこに堂々と白で筆書されています。3月は右の写真の通り。ただ、仏光寺は京都市のど真ん中にあるとはいえ、近くの四条通りや烏丸通りというメインストリートから少し入るため、あまり多くの通行人の目に触れないのが残念です。
 新聞記事の終わりは次のような文章で締めくくられています。
 『宗派の教学を担当する吉田譲(ゆずる)宗務部長(46)は「できるだけ印象に残るものを、と最新の流行も取り入れて工夫している。今後も世間にアンテナを張り、日常に溶け込んでいくような教えを発信し続けていきたい」と話す。』
 まさに、掲示伝道標語の極意。しかし、老いぼれた私には「最新の流行も取り入れて工夫」するのは至難。今後、標語づくりにはできるだけの努力はするつもりですが、多くは望めません。当面は、(否、ずーとかもしれません)あちこちから拝借してくることになりましょう。


■良い標語が浮かびましたらご一報を!
 3月はお彼岸、御先祖のお墓参りをなさる方々が寺を訪れます。三宝寺掲示板には、早速2年前の8月に仏光寺が掲示された標語をいただきました。(写真E)(勿論出処は書いています)そして、「如月の華」はあまりに素晴らしかったので7月、9月の京都公演を宣伝しておきました。これを見てどなたか鑑賞して下されば有り難いのですが。
 さあ次の4月はどうする、このHPが更新される日には何か出来ていないと・・・目下、思案中。「雑色雑光」もそうですが、標語の「月一」の更新も大変になりそうです。
南無阿弥陀仏

御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)

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