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「次世代を担うひとの育成 〜こどもにお法を伝えるには〜 」

 この度、法統を継承されました本願寺第25代専如ご門主様が、平成28年4月28日日高別院をご巡拝されました。ご門主様ご列席のもと、皆様と共に本堂での法要を執り行い、引き続きご消息のご拝読がございました。その後、記念行事として幼稚園児や保護者によるコーラスなどが行われました。
 そして、この度のご巡拝記念として、ご門主さまとの懇談会が開催されました。懇談会のテーマは、〜次世代を担うひとの育成〜 サブテーマ〈子供にお法を伝えるには〉。
 ご門主様を囲んで約1時間、それぞれの思いを意見させていただきました。その懇談会の内容を少しご紹介させていただきます。

■懇談会
(輪番)次世代を担うひとの育成、サブテーマ〈子供にお法を伝えるには〉?というテーマで懇談会を開催いたします。現在、御坊組は寺院数27ヶ寺、御坊組で日高別院を護持しています。また、御坊幼稚園を運営しており、現在81名の園児が入園しています。本日は、子供を取り巻く環境や過疎化の進む地域での課題なども踏まえて、どのようにお法を伝えていくのか?皆様の思う所をお話し下さい。余り硬くならずリラックスしてお話し下さい。

(天性寺)日高別院は、いつも子供の声が境内に響き渡る良い環境の中で昨年100周年を迎えました。今回のテーマであります〈子供にお法を伝えるには〉について、このテーマは以前から宗門においての重要なテーマの1つと思われます。昔と今と、子供の姿はどうでしょうか?特に大きく変わってきたとは思いませんが、子供を取り巻く環境等は大きく変化していると思います。椎崎先生は長年、御坊幼稚園で子供や保護者の皆さんを観てこられましたが先ずその辺りはどうでしょうか?

(椎崎)子供達の様子は、昔も今も全然変わりません。変わったのは自分自身だと最近常々感じます。以前は「〜せねばならない。何もかも教えねばならない」とばかり考えていました。でも今は例えると、肌にしみ通るような環境を作ってあげる事が大事だと思います。 こんな事がありました。トイレのスリッパの話なのですが、入園当初はトイレのスリッパを揃える事が出来ないんです。全員。先生がいくら言ってもそろえる事が出来ないんです。そんな状況が何年も続いてきました。そこで少し前から方法を変えてみました。トイレのスリッパが揃っていないと気付けば先ず大人が揃える。大人から揃えるんです。当然きれいに揃えましょうと子供にも伝えます。とにかく大人がやって見せるようにしました。そうする事で卒園を迎える頃には全員きれいに揃える事が出来るようになりました。これかなと。この年になって初めて気付いたように思います。

(輪番)保護者としては如何ですか?

(岩中)御坊幼稚園に子供を通わせた理由として、@家から近かった事。A主人が通っていた幼稚園だからBよく調べてみると、お寺が運営しており恐れながら仏教を通してどのような教育をしてもらえるのか?これが理由です。今もよく覚えていますが、入園式の日の事です。長時間の正座は大人でも大変ですが驚いたのは、年長の子供さん達全員ガサガサすることなく式が終わるまで正座している姿でした。本当にびっくりしました。凄いなと。入園後の話として、お彼岸にお寺の墓参りに行った時や実家を訪れた時など仏壇に自然に手を合わせて、「なもあみだぶつ」と3回言うんです。初めて聞いたときは、びっくりしました。日頃幼稚園で学んで身についた事が日々の生活の中で様々な感動を与えてくれています。先生方の熱心なご指導と改めて感謝しています。他の幼稚園では学べない事が多くあります。この幼稚園に入園させて良かったと思っています。

(輪番)伊藤さんは最近、僧侶になられたとお聞きしましたが、、。どうですが?

(伊藤)お寺に足を運んでもらえる様に色々と考えている所ですが、特に思い浮かばないのが現状です・・・。

(楠山)うちの子供は高校生と中学生です。小さい時は素直に何でも親に言ってくれましたが、今は素直では無くなっている。今日の幼稚園児の姿を見て心があったまりました。

(岩中)上の子が卒園して今、小学生なんですけれど、環境が変わって手を合わせる機会が減りました。失礼ですが、ご門主様は普段お子様にはどのように接しておられますか?

(ご門主) 上の子供はもうすぐ5才になります。手を合わせる事に関してはお寺の子供の場合は普段の生活の中で当たり前の事になってきますが、、。
年配の方から聞いた話ですが、退職されてお寺とご縁が濃くなった方の話です。
お孫さんに少しでもお法を伝えたいと思い、顔を合わせる機会があれば仏さまに手を合わせるようにお話しされたんだそうです。その方の子供さんはお二人いて、帰省された時 長男さん家族は、子供さんだけがお仏壇に手を合わせる。
次男さん家族は、家族全員でお仏壇に手を合わせるんだそうです。次男さんのお嫁さんは富山県出身で、子供の頃からずっと手を合わせていたらしいんです。
結婚して都会暮らしが始まり、手を合わす機会が無くなったが夫の実家に行けば当然のように手を合わせる事が出来る。こんな話を以前聞いた事があります。
少し離れていても、子供の時に身についた事は又戻ってくるのではないかと思います。

(輪番)御坊組ではキッズサンガも大変盛り上がっていると聞いていますが、、。

(天性寺)夏休みにここ日高別院で行っています。まず、担当者のお寺さんが大変熱心に取り組まれて計画して下さっています。以前なら別院で幼稚園児の姿以外の子供をほとんど見たことが無かったのですが、今は大勢の小学生が参加してくれています。キッズサンガ当日は子供達で満堂になり、保護者の方々は入りきれないので外で立ち見の状態です。お寺に子供たちが還って来てくれたように感じます。思うに、つながりをしっかりと発信していく取組みが大事だと感じています。「あなたの事を知っています。忘れてなんかいないよ」というメッセージをしっかりと伝えていく取組みが今後に活きてくると思いますが、、。それぞれのお寺でも出来る範囲でしっかりと発信していく。やり方は色々あっていいと思います。寺報でもいいし色々なイベントでも、出来る事からそれぞれのメッセージを添えればいいと思います。先程の椎崎さんの「肌にしみ通るような、、」みたいに。

(椎崎)園児だった子が、お父さんになって戻ってこられるんです。でもね、すぐにお父さんじゃなくて、子供さんが入園した時は、まだお兄ちゃんなんです。でもね子供さんが卒園される頃にはお父さんになっている。当然お姉ちゃんはお母さんにもなっている。自分の子供が色々な事を体験して、それを親に伝えるんです。親も親として子供に応えようとされます。偉そうな事言ってすみませんが、それによって親も親らしくなるというか、、。御坊幼稚園の保護者の皆さんは熱心で有難いです。行事にも積極的に参加して下さいます。

(天性寺) 今のお子さんはお子さんで何かと大変ですよね。習い事も多い子も増えている。その様な中で親の影響、小さい頃は特にお母さんの影響が大きいと思います。 今日のような、保護者の方も一緒に参加してもらえる環境作りも大事な要因となってきます。 先程、お母さんたちが歌を歌ってくれました。子供にとっても、親にとってもそれぞれ参加出来て、かっこいい舞台なんかを提供してあげる。そのように親も一緒に巻き込んでのお法へのご縁つくりもいいと思います。

(椎崎)そうなのですが、、。例えば 教会の幼稚園は、キラキラと華やかな行事が多いけれども、仏教は暗いイメージがどうしても付きまといます。後、えらいお坊さんが来てくれて話を聞かせてくれるのですが何を言っているのかさっぱりわからないし難しいし、ご年配の方は話の後、「なもあみだぶつ」と何度も言うけれど、私は修業が足りないから何の話だったかもよくわからないです。まずは普段の言葉でお話ししてくれるとありがたいです。

〜  一応出席者を交えた懇談はここで終了し、ご門主からの話となる 〜

(ご門主) 自分の子供のお話をさせて頂きますが、やはり小さい時から本堂でお参りさせています。今も小さいですが、、。子供との接し方というか、スタンスとして普段、日常生活の中で大人が行くところに子供を連れていく事も多いです。例えば、皆でレストランにご飯を食べに行ったりします。すると、子供は本人なりに周りをみてどうしたら良いか理解しているようです。騒いだりしないですね。ただ、以前ディズニーランドに行った時は、ちょっと危ない感じでしたねえ。周りの子供さんが走り回っていたので(笑)。騒ぎそうになってました。
余り子供扱いしてこなかったというか、大人と同じように接するというか、そういうのも大事だと思います。ある小学校の先生が言われていましたが、お寺の幼稚園出身の子供は、授業中ちゃんと座っている事が出来ると。

法話の事について少し私の考えを言います。
春になると、本願寺には宗門校の生徒達が修学旅行に来てくれます。朝のお勤めの後、常例布教で話を聞くのですが子供達にはさっぱりわからない話になっています。問題は話の内容では無くて、つまり日本語の問題ではないかと。高校生に向かって、いきなり教区とか組(そ)とか言ってもなんの話なのか分からないですよね。高校生が本堂に大勢いるのにそのような言葉を普通に使われています。日本語として聞き取れない言葉を使っているケースが少なくない。これが問題です。ご法義の内容の問題ではなくて、わかる言葉でお話し出来ているかどうか?
話し方、伝え方の問題ですね。

宗門として各ご家庭に浄土真宗としてのマニュアルつくり と言ったご指摘もありましたが、結論から言えば私は反対です。テレビでも関西と関東では全く出演している方が違います。地域差がありますよね。お寺もそうでしょう。違っていていいじゃないですか。お寺に関して、もう少し簡単に考えていただいてもいいのではと思うことが多々あります。ご法事で子供が騒ぐから本堂には入れないとかじゃなくて、子供が騒いでもいい場所が本堂なのです。特に都会では畳の部屋すらない家が増えています。だからお寺では何も気にしないで騒いでいいから一緒にお寺で過ごしてもらうように言うなど。
(ある教区の方の話)法要の時に仏教婦人会でおまんじゅうを作るのだそうです。平日の昼間だから、お孫さんをお寺に連れてきて一緒におまんじゅうを作るんだそうです。そうしたら小さな子供さんと一緒にお寺で過ごされているんですよね。これは立派なキッズサンガだと思います。つまり、こちらの意識の問題ではないかと。子供さん、お孫さんにお盆やお彼岸に一緒にお寺に行きましょうと声掛けしてもらうとように普段からお伝えしていく。そして、先ほども言いましたが、本堂に上がるだけで十分だと思います。特別な事はしなくてもいい。
ただ、お寺は楽しくないというメッセージを伝えたのでは問題ですね。足が痛いのを我慢する、というメッセージを伝えたのでは問題。イメージの問題ですね。どういうやり方が良いか?と知恵を絞っていただきたいですね。難しい事を考えるのではなく、ポイントは、”居場所になる事”、これが大事です。お寺に良いイメージが残っていないのは、その人の居場所になっていないという事です。是非その辺りを考えて頂きたいです。ご法話の代わりに、親鸞聖人のアニメを流してもいいと思います。〈お寺はあなたが来ていい所ですよ、あなたの居場所なのですから〉というイメージを是非伝えて下さい。


文:津本芳生(天性寺住職)


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