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「日高に残る戦争遺産(その3)」 穴のあいた梵鐘と石の鐘1


■日高別院の釣鐘
 もう、30年以上前になりますか、高校教師をしていた時、学園祭で当時担任していたクラスが「平和のための戦争展」に取り組むことになりました。生徒と一緒にその展示資料を収集する中で、ある方から「日高別院の釣鐘は戦争で供出させられたけど、戻ってきたよ。ただ鐘にいくつもの穴があけられてるよ。」ということをお聞きしました。当時の私は、梵鐘が供出させられたことは知っていましたが、返されてきたものがあること、そこに穴が穿たれていることなどは知りませんでした。早速、別院を訪ね、鐘楼の大梵鐘を見ると、たしかに鐘の中央上部に5個の穴があいています。

 ネットで調べてみると、昭和16年に公布された国家総動員法にもとづく金属回収令によって、生活のなかにあるあらゆる金属類は根こそぎ回収。寺も例外でなく梵鐘や仏具の回収が徹底されました。国宝などを除き江戸時代(元和年間)以降の鐘は基本的に供出された。国内にあった鐘の9割、5万個が失われたといわれています。
 

■帰還梵鐘には穴が・・・
 供出された寺の梵鐘のうち、いくつかは戦後戻ってきました。しかしその多くには成分分析のため小さな穴があけられています。
 穴あき梵鐘は関西に集中しているようです。関西から供出された鐘は、瀬戸内海の直島(香川県)の三菱鉱業製錬所に運ばれました。穴は、銅やスズの含有率を調べるためドリルであけられたとみられる。直径1・5センチ。数や位置は鐘ごとに違い、一鐘に2〜8個の穴があります。
 東海や北陸の鐘は三重県の製錬所に集められ、鐘上部の突起「乳(にゅう)」が分析用に切り取られました。関東では無傷の鐘が多いようです。溶解を免れた理由はスズなどの含有率が加工に適さなかったなど諸説がありますが、はっきりしません。鋳つぶされなかった鐘は昭和20年代前半に寺に戻されたものが多いようです。

 国内で供出された鐘の大半が溶かされた中、奇跡的に戻った「帰還梵鐘」は御坊組内に日高別院、源行寺様[左]、安楽寺様[右]の3鐘が確認できます。これらはいずれも数個の穴があけられています。
 光専寺様や円満寺様、光徳寺様などの梵鐘は戻りませんでした。しかし、これらの寺院では戦後まもなく、御門徒様方の御寄進で新鐘が鋳造されました。幸い光源寺様のものは歴史的な価値と非常呼集の必要性から供出を免れました。

 一方、郡内には、主を失って75年、
今なお、鐘楼だけが立っているお寺もあります。戦争の悲惨さを象徴する光景です。


■代替梵鐘は鐘楼を守るため
 鐘楼は梵鐘の重量でバランスを保つ構造になっていることから崩壊の危険が有り、供出された銅製の梵鐘の代わりに、多くの寺院では石・コンクリート等で作られた代替梵鐘を吊り下げられました。
 この実際を知ったのは、20年ほど前、琵琶湖に浮かぶ竹生島に遊ぶため、JR近江今津の駅に降り立ったものの、近くの今津港から出る船の出発まで、1時間くらいの時間があることがわかり、港の周辺を散策していると、「西福寺」という真宗大谷派のお寺がありました。きれいに整備された境内の一角に、立派な鐘楼があります。ふと、その脇をみると、大きな釣鐘が置かれています。「なぜ、こんなところに?2つもあってどうするの?」と思いました。しかし近づいてよく見ると、なんとこれはコンクリート製。脇に次のような説明文があり、代替梵鐘であることがわかりました。

  碑文
昭和十七年十二月八日太平洋戦争のため径二尺三寸 百十貫の大鐘供出
其の時これが鐘楼を守る
同二十二年七月三十日梵鐘再鋳成り放置す
住職慶斉 之を惜しみ昭和五十七年六月十五日此処に安置す
施主  藤戸末造
西福寺 滋賀県高島郡今津町

 ネットで検索すると全国には今もこのような「代替梵鐘」が「戦争遺産」として保持されているところが数多くあります。名古屋市東区の円明寺には花崗岩の鐘が、滋賀県草津市の真教寺にはコンクリート製の「鐘」が今も鐘楼につるされているものもあるようです。
 

■平和の石鐘  奥信濃にある「いのちの証」
 このような代替梵鐘の中で最もよく知られているのは、「平和の石鐘」として知られる長野県の北部、信濃町富濃にある浄土真宗本願寺派称名寺のものでしょう。昨年夏には和田一登氏が「望郷の鐘」の姉妹編として「石の鐘の物語」をかもがわ出版から上梓されています。
 大きなシダレザクラの傍らにある鐘楼には「梵鐘記念 昭和十七年十月」と刻銘された石が吊るされています。金属回収令が強行されるなか、称名寺の梵鐘も、昭和17年、門信徒の手によって戦地に送られました。大砲の弾丸になったとも言われています。門信徒は寺の近くにあった石をそこに吊るしました。74年を経たいまも「石の鐘」は鐘楼の中でそのまま沈黙しています。
 なぜ、石の鐘のままにしているのか。答えの手がかりは、この寺の女性の僧侶、佐々木五七子(87歳)さんのこの言葉にあります。
 「いま、世の中は平和ですか? 平和ではありませんね。こうしているあいだにも、戦車や爆撃による殺し合いで、なんの罪もない子どもや老人、赤ちゃんまでもが死んでいます。そういう戦争がなくなったら、石の鐘は下げてとりかえましょう。」
 「石の鐘」は二度と戦争で帰ってこない命の証、とても重い意味を持っています。
(つづく)

 


御坊組組長
湯川逸紀(三宝寺住職)


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