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「落慶法要を終えて」
去る一月二十八日金光山金蔵寺において本堂新築落成慶讃法要・報恩講法要を営み無事終えることができましたこと門信徒一同とともにまことによろこばしいことでありました。 法要にあたっては多くの有縁の方々のご指導ご支援を賜り感謝申し上げます。 当寺は文明年中(一四八六)小熊村百姓護太夫が蓮如上人の御親教に浴して岡の段の自宅を聞法の道場となしたのを開創とし、一六四六年(正保三)参詣者の便を考え現在地に移転したが、一七〇七年(宝永四)宝永の大地震により本堂破損、その二年後に再建されたのが、新築前の本堂で約三百有余年を経ていたわけで、現在まで幾度かの修復を経ていたものの、老朽化著しく平成二十三年の紀伊半島豪雨の折には本堂全体から雨漏りするような状態でありました。 本堂新築の機運がそれを境にいっきに盛り上がり、門信徒また有縁の方々のご懇志により昨年六月に完成に至ったわけですが、解体工事で屋根裏から昔の飾欄間を発見させられたりして改めて当時の面影を思い知る機会を得ることにもなりました。 この度の法要に際して、門信徒の方々主に建築委員の方々が一丸となって事に当たりご法中の方々特に三宝寺御坊組々長、ほか東組の住職の皆様には大変お世話になりまことにありがとうございました。 法要日前日とも晴天にも恵まれお念仏にあふれつつがなく法要を終えたこと本当に喜ばしいかぎりでありました。 それにしても、昨年七月に法要を待たずに前住職が往生しましたが、入院時にはほぼ完成しており、ま新しい畳を踏みしめ内陣荘厳の様、天井の様子を眺めていたのを強烈に思い起こされる次第です。 住職が病室で書いていた最後の言葉 『「この身はいまはとし、きわまりて候へば定めて先立ちて往生し候はんずれば浄土にて 必ず必ずまちまいらせ候ふべし」親鸞聖人 「われ称えわれきくなれど南無阿弥陀連れて行くぞの弥陀(おや)の呼び声」原口針水和上 金蔵寺十五世住職釋妙彩八十九才 みんなみんなありがとう…省略』 親鸞聖人の教えに心酔していた住職であり、「自信教人信」について身をもって示してくれていたものと思っております。 法要を機に今後もお念仏の道場としての法灯を守るべく努力していきたいと念じている次第であります。 ※上記の写真は1月28日金蔵寺本堂にて行われた落慶法要の写真です |
金蔵寺 | |||
堀 秀樹 |