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「組長」退任にあたって




 どれだけこの日を待ったことか、ついに今春、私の「組長」の卒業が認められました。 2011年3月末、60歳の定年で高校教員を退職、さあこれから青春キップで大好きな寺巡りができるぞと思った矢先、4月の組会で前任者が突然辞意を表明され、当時副組長の一人であった私に組長のお鉢が回ってきました。私は教義にも宗政にも全く暗い身で、数多の有能な先輩諸氏をさしおいて、組長の重い靴を履くことになりました。爾来、9年間、ご迷惑をかけっぱなしの日々でした。
 この9年間を、毎年の組会資料で振り返ってみます。

・2011年 この年の最大行事は宗祖750回大遠忌の本山参拝。組からは4月、5月、11月と3班に分かれて、総勢657人がバスで団体参拝をしました。

・2012年 組の視聴覚ライブラリーの充実をはかりました。当時最新のエプソンプロジェクターやスクリーンを購入し、後の組内寺院、別院、幼稚園の教化活動を支援しています。ソフト面ではまだまだ不十分ですが、これからも大いに活用していただきたいものです。7月から第6期組連研が始まりました。そこから2014年1月まで2ケ月に1回、第二土曜日(原則)の午後開催されてゆきました。

・2013年 この年から夏休みの一日、日高別院において本格的な「御坊組キッズサンガ」が始まりました。善妙寺ご住職木下真人師がその企画運営をすべて引き受けて下さり教区一の規模のとりくみを大成功させて下さいました。

・2014年 6月1日 組にホームページが開設されました。これも木下真人師のご功績です。不定期になりがちだった紙媒体「御坊組だより」に代わるものとして期待されての出発です。
 7月から第7期連研が始まりました。2016年1月に修了式を迎えました。

・2015年 御坊幼稚園創立百周年の年で、4月4日、御坊市島在住の吉田秀氏から、精巧な「園舎・別院模型」が日高別院に贈呈されました。

・2016年 4月28日、専如門主が日高別院を御巡拝になりました。



・2017年 前年度末の3月から伝灯奉告法要の御坊組団参が始まりました。4月、5月と6班に分かれて584名が参拝されました。
 この上なく悲しく辛いことですが、5月17日に善妙寺ご住職木下真人師が逝去されました。組のキッズサンガ、ホームページを創設して下さった傑出した人物で組の将来にとってこれ以上ない大きな損失となりました。これらの行事を継承発展させることが、師の御恩に報いることになりましょう。この年、キッズサンガは開催できませんでした。

・2018年 6月、教区仏壮40周年記念大会があり、組仏壮がバス一台を仕立てて団体参拝しました。
 8月には天性寺ご住職、津本芳生師が中心となり、キッズサンガを復活させて下さいました。
 9月4日、「非常に強い勢力」の台風21号が当地を襲い、組内殆どの寺院が甚大な被害を被りました。今もその傷跡が癒えないところがあります。

・2019年 10月、和歌山教区が担当する近畿仏教婦人会大会が県民文化会館で開かれ、組仏婦役員が周到な準備の下、バス一台で参加しました。
 2月末に予定していた「門信徒研修会・懇親会」が、コロナウイルスによる新型肺炎の蔓延で中止となりました。
 この年、宗派賦課金につながる護持口数が減じる方向で12年ぶりに改訂されました。



 今、振り返ると、例年の行事をこなしていただけという実感しか持てませんが、私としてはこれで精いっぱい。目も疎く、耳も遠くなった今の私をみて、家人は2・3年前から「はよ辞めて、これ以上やっていたら自分が恥かくだけやなく、組や周囲に迷惑をかけるばかり」その通りです。
 私にとってこの9年間で最も大きな出来事は、善妙寺住職木下真人師のご逝去です。他組の住職の言ですが「御坊組には組長の代わりは、いっぱい居るが、木下さんの代わりはない」この思いは9年間頭から離れません。ITの深い知識、イベントの企画力、秀でたリーダーシップ、お元気でしたらどれほど組や教区の発展に寄与されたことか、惜しみても余りあります。師が開いてくださった組改革の扉、後続の僧俗がさらに広げてゆかねばと思います。


 2012年から2期4年間24回の連研を引っ張って下さったのは、常福寺住職金谷安勝師です。副組長として組運営の中心でもありましたが、毎回、浄土真宗のみ教えをご門徒方に伝えるため、豊富な資料を用意して下さいました。元エリート商社マンである師のお話はとても楽しいものですした。
 副組長、正覚寺川越正博師には、よく相談に乗っていただきました。元教員で預かっている寺が町はずれの小規模寺院であるという共通点があり、私の悩みをよくわかって下さいました。組内で困難が生じると、真っ先に師のもとに車を飛とばしていました。ホームページにも度々心温まる原稿を寄せていただきました。

 安養寺住職佐々木俊紀師には教区会議員の傍ら長年組総代会の担当としてご活躍、毎年秋、本山への念仏奉仕団を企画して下さいました。これへの参加を心待ちにしているご門徒もたくさんおられます。同寺坊守さまにはビブスのデザインをして頂きました。それを着用しての奉仕作業は一体感があってとてもよかったとの感想が寄せられています。組のキッズサンガでもスタッフジャンバー代わりとしても重宝です。

 組への献身ということで特筆すべきは光専寺住職柏木秀憲師です。日高別院に勤務されていた25歳の時、副組長に推挙され、その数年後には組会計を委嘱されました。爾来46年間、日常の組活動の細かな経費の出し入れ、組費や別院護持費(現在は別)の徴収、教区、本山への送金。還付金の仕分け。これら膨大な入出金の帳簿への記載、組会会計資料の作成とよくぞここまで続けて下さいました。私を含め5代の組長を支えて下さいました。もう感謝しかありません。

 専福寺門徒の細谷廣延氏のご活躍も忘れられません。氏は早くに組連研を修了され、中央研修を受講して門徒推進員に登録。教区での活動が主でしたが、近年、組実践運動の委員にも就かれ組行事にも広く参画してくださいました。キッズサンガや第3ブロック研修会の開催日が近づくと、毎年、炎天下での駐車場の草刈り奉仕を率先してくれました。私とは「青春キップ」仲間でご一緒に数年前、17年ぶりに「一光三尊仏」が御開帳されるというので真宗高田派本山に鈍行でお参りしたこともありました。今年4月からは門徒教区会議員としてご活躍下さることになります。

 私は、ここで「組長」の靴を脱がしていただきますが、「副」がついた少し軽めの靴を履いて新組長の後をついてゆきたいと思います。みなさまの長らくのお支え、本当に有難うございました。


          南無阿弥陀仏   南無阿弥陀仏



 

三宝寺住職 湯川逸紀


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