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御恩を知らしめて頂く「お墓詣り」



 コロナ禍の最中ですが、年明け3度の大谷本廟参りをさせていただきました。
 いずれも、住職代務を仰せつかっている常徳寺ご門徒の納骨です。御住職が須弥壇下や後堂に御遺骨をお預かりされていたものです。
 無量寿堂に納めるべくR型容器に入ったものや、金襴で包まれた小型容器のままのものもありました。ご住職は気にかけながらも体調悪化のため納骨に行けなかったものと思われます。
 寺役員の方々が本堂を片づけている中でこれらが次々と見つかってまいりました。ご本人と託されたご遺族にとっては許されることではありませんので、見つかり次第、私が本廟無量寿堂に納めにゆきました。
 まもなく、常徳寺の第一無量寿堂納骨壇は一杯になりそうです。(最後の写真)

 2月23日の本廟納骨のおり、大谷本廟からそう遠くない泉涌寺墓地にある私の母方の先祖墓にもお参りしてきました。祖父母や学徒出陣20歳で戦病死した伯父の御遺骨が納まっています。
 祖父山根徳太郎が昭和3年に建碑したものですが、山根家は伯父の戦病死で絶家したため日ごろは京都に住む従兄の子孫が護持して下さっています。私がここにお参りするのは年に不定期で3・4度、申し訳ないことです。
 ここで手を合わすたびに、祖父母の温容が瞼に浮かびます。

 この日は、もうひとかたの大事な墓参をしました。昨年秋、往生された私の学生時代の恩師T先生の納骨所です。
 T先生は、K大学農学部「応用植物学教室」の教授であられました。私は学生・院生時代、大変お世話になりました。大学の先輩でもあった先生は当時、日本植物生理学会の会長を務める開花生理学の権威としてよく知られた生物学者でした。
 私は自分の研究能力の限界を知り、修士課程を終えたところで大学を離れ、田舎に帰って教師と僧侶の道に進みました。それ以来、先生とのご縁もすっかり薄くなって今日に至っておりました。
 昨年暮れ、大学の後輩からT先生が10月3日に93才でお亡くなり、ご縁あって東山浄苑に納骨されたというメールが届きました。T先生の家系は山口県岩国市出身で真宗門徒であったと聞きました。
 東山浄苑は大谷本廟を少し東に登った山科区上花山にあり、本堂にあたる「嘉枝堂」は1998年竣工の立派な鉄筋の施設です。地下にたくさんの納骨御仏壇が置かれおり、大谷本廟の無量寿堂とよく似ています。

 受付で参拝を申し込むと、事務員の方が大変親切にその場所を教えて下さいました。お仏壇を開きますと、御本尊の下に懐かしい先生のお写真が飾られていました。(奥様のも)
 最後にお会いしたのは、私の結婚式に参列してくださった44年前でしょうか。年賀のご挨拶は交わしておりましたが、すっかりのご無沙汰でしたが、遺影にはその面影はよく残っておられました。
 尊前で偈文を頂戴しながら、ありし日の師徳を偲ばせていただきました。

 お墓参りは大切です。仏教には「四恩」が説かれます。開く経典によって様々に分けられますが、『大乗本生心地観経』では、父母の恩・衆生(社会)の恩・国王(国家)の恩・三宝(仏・法・僧)の四恩を説いています。この日の祖父母の墓参りは「父母の恩」、大谷本廟でのお参り、東山浄苑でのお参りは「衆生の恩」そしてここで読経させていただくことの喜びが「三宝の恩」ということになりましょう。
 昨今よく私どもに「墓じまい」なるお勤めが要請されます。先方から聞かせていただく「事情」には納得せざるをえませんが、それが「お仏壇しまい」につながることもあり、住職として大変寂しい思いをいたします。

 宗報2021年2月号、「『考えさせる』葬儀」の最後(41頁)に以下のような記述があります。

 御門主様の近著「令和版 仏の教え 阿弥陀様におまかせをして生きる」(115頁)には「故人を偲びつつ、故人の私たちにかけられた願いを聞き、あらゆるものは変化しているという諸行無常の理の中で、私たちの生きる確かな依りどころであるお念仏を味わせていただくことです。」と浄土真宗におけるお墓参りの意義をご教示くださいました。
 お墓を建立し、お墓参りをすることの意味を考えることを通して、「手を合わせる」大切な存在、尊い存在とは何かを伝えていくことが求められているのではないでしょうか。

 墓参には「お念仏が出る」「手が合わさる」「頭がさがる」が伴います。御恩を知らしめて頂くうえでお墓参りが果たしてゆく役割はとても大きいのではないかと気づかせていただいた一日でした。


                     南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

                            入山三宝寺住職 湯川逸紀












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