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ヤフオクで見つけた「蓮如上人御伝絵」



 親鸞聖人の「御伝絵」は「巻子本」(巻物)の形をとり、高田本、琳阿本、康永本などが知られます。
 その実物を拝見するのは展覧会ぐらいですが、その絵だけを軸装した「御絵伝」は後世広く流布し、多くの寺で四幅に仕立てられた御絵伝を奉懸しての報恩講がつとまります。
 また覚如上人が著された詞書の部分を集めた「御伝抄」は製本され、本山や別院の報恩講では拝読されますが、近年、それが一般寺院で拝読されることは殆ど無くなっているようです。現在「御絵伝」や「御伝抄」の解説本やDVDが出版され、私どもの聖人理解を助けています。

 「中興蓮如上人御伝絵抄」なる書物があることを知ったの昨年秋、ヤフオクである仏書を探していた時です。初版が明治31年で大正8年の第5版、経年の痛みがあるとのこと、仕方ありません。署名からして、蓮如聖人の「伝絵」にかかわった内容のようで興味が湧きました。
 蓮如上人の「御絵伝」は親鸞聖人のものに比べると、圧倒的に少なく私の知る限りでは、組内でお持ちになっている寺は2ケ寺、全国でも蓮如上人とのゆかりが深い寺院に少数伝わるようです。
 蓮如上人の様々な御事績については「蓮如上人御一代記聞書」がよく知られ、現代語訳も出版されていますがすべて簡潔な箇条書きになっていて、「浄土真宗聖典(注釈版)」には314条が収められています。御事蹟を朗々と述べ讃える「親鸞聖人御伝抄」のイメージではありません。
 私は「蓮如上人御伝抄」なるものが存在するのか否かは知りません。この古本がこれに関係するのではないかと勝手に思い込み購入することにしました。

 ヤフオクでは競う相手もなく、すぐ落札、3日後には配送されてきました。意外にも古書ではあるものの痛みは少なく落丁もないように思えます。大正期の印刷本ですので、紙質はあまり良くなく、活版印刷の文字も明瞭でないところも少なくありません。
 蓮如上人の数多知られた御事績を66(+補遺4)の段に整理し、年代順に記述されています。総頁は320頁に及びますが挿絵はほとんどなく絵伝との対照ができません。ただ、すべての漢字にルビがふられているのは、学術書ではなく庶民の読み物あるいは「説教本」として出版されたものでしょう。

 前書きには、この書は「蓮如上人遺徳記」「蓮如上人御一代聞書」を正依とし、後世の「蓮如上人御一生記」「慧燈大師御伝記勧誘録」「蓮如上人絵説抄」等々から多数の記事を取りまとめたものと説明されています。
 中身各段の文章はまるで講談本、その文章は読者の情念に訴えかけるように工夫されています。これに節をつけ読みあげれば「節談説教」になるような気がします。「節談 蓮如上人御一代記」といったたところでしょうか。
 江戸時代に隆盛を極めた節談説教、真宗の近代教学の側からは伝説や物語を中心とした説教内容には史実とはかけ離れたものも多く、封建的な内容や差別的な視点が含まれていたため、それらへの批判が強まったと言われます。
 また、高座の上から語るというスタイルそのものが民主的でないとの非難をもうけることとなり、昭和の中ごろには、長く続いた節談説教がついに内部より壊滅的な状態へと導かれることになりました。
 しかし近年、浄土真宗内で節談の魅力が再評価する声も高まり、築地本願寺や大阪北御堂で大々的な節談説教布教大会が催されています。

 実際に私が法座の中で「節談説教」を聞かせていただいたのは1回だけ、10年前の日記に遡ります。
 2012年4月高田本山専修寺の「開山聖人750回遠忌報恩大法会」の午後の法座に参拝したときのこと。高座に登られたのは輪島市門前町満覚寺(真宗大谷派)住職廣陵兼純師。司会の方が「本日のご講師は当代随一の節談説教使であられます」と紹介されたことを覚えています。
 お御影堂は満堂、師はみ仏の心を涙あり、笑いあり、毒舌ありの話題を交え独特の語り口に同行を引き込んでゆきます。とこどころで声色が変わる「節」が入ります。そこでは「ナンマンダブ、ナンマンダブ」の「受け念仏」のうねりが起こるところですが、「節談説教」になじみがない場ではそうはいきません。1時間足らずでありましたか、師の語りは満堂の聴衆を法悦の世界に浸らせました。お説教の力をまざまざと実感した法座でした。

 このたび入手した「中興蓮如上人御伝絵抄」は節談説教本ではありませんが、節談説教が華やかかりしころの出版物。当時の説教師たちはこのような伝記を参考にされたのではないかと想像します。語り口調で書かれていますので、ご法義に疎い私にでも読み通せそうです。
 下に一話だけご紹介します。「第54 喜六太夫の深信」の段、紀州冷水浦了賢寺の開基喜六太夫御勧化の場面です。ここには挿絵があります。拡大できればお目通し下さいませ。
 この冬、勿体ないことですが、こたつの中でこの本の全編をゆっくり読ませて頂きます。


                     南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

                            三宝寺住職 湯川逸紀

   

   

   


 新年のご挨拶が遅れました。
 「あけましておめでとうございます どうか御見捨てなく・・・」










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