(過去の「雑色雑光」はこちらからどうぞ)

雨雨ふれふれ 


 私は生来、歌が苦手。また、昨今耳が遠くなり、TVで歌が流れても、さっぱりその歌詞が聞き取れません。 家内に聞き直しても、返答は「ええかげん補聴器こうたら。」とまともには取り合ってくれません。 もう、今風のといっても30年位前から新しい歌は全く頭に入っていません。

 家内は寺族関係者で作っている「ビハーラ和歌山」の一員で、老人ホーム慰問のためによく童謡を練習しています。 その声はともかく「童謡」は良いですね。 どれも優しさが満ち溢れています。温かい歌詞に穏やかなメロディー、時代を超えて人々の心を癒します。
 梅雨のこの時期、すぐ浮かぶのは「雨雨ふれふれ」から始まる童謡『あめふり』です。(八代亜紀の「雨雨ふれふれもっとふれ」ではありません)
 童謡は.作詞:北原白秋、作曲:中山晋平による名曲、お母さんを慕う子どもの上気、子ども同志の友情、そして「かあさんのおおきなじゃのめ」に母の慈愛があふれています。

 あめあめ ふれふれ かあさんが
 じゃのめで おむかい うれしいな
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

 かけましょ かばんを かあさんの
 あとから ゆこゆこ かねがなる
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

 あらあら あのこは ずぶぬれだ
 やなぎの ねかたで ないている
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

 かあさん ぼくのを かしましょか
 きみきみ このかさ さしたまえ
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

 ぼくなら いいんだ かあさんの
 おおきな じゃのめに はいってく
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

    

 ネットを検索すると「浄土真宗 髄泉寺時報2001年7月第371号」にこの歌についてこのようなコメントがありました。

 傘を持って迎えに来てくれた母・…。
時代がドライになればなるほど、こんな情景が懐かしくなるのかもしれません。 だから人生の寂しさや、やるせなさは、あたかも私たちの心の中に降りしきる雨。誰かがそっと傘を差しかけてくれるのを待っているのです。 そんな時、出会った人の情けは身にしみます。 すぶ濡れで冷えきった体に、ぬくもりが戻ってくるように「生きていてよかった」という温かい感動が甦って来ます。 ひょっとしたら私たちは、こんな心のふれあいを知るために、この世に生を受けているのかもしれないのです。 無情の雨というなかれ。 それは時として乾天の慈雨となることもあるのですから。

 9年前91才で命終した母を想います。 京都から入山の貧乏寺に嫁いで苦労を重ねた母親ですが、身を粉にして3人の子どもを守ってくれました。 雨の日、3kmの道を厭わず学校(和田小学校)まで傘を届けてくれたこともありました。 今、感謝しかありません。

              南無阿弥陀仏   南無阿弥陀仏


                            三宝寺住職 湯川逸紀










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